« 師が走れば、私も走る12月 | トップページ | 忘年会その二  ガーデンバーベキューと祭りのあとの巻 »

Julie,Julie,Julie!in 東京ドーム

― あなたの一番のアイドルは誰ですか? ―

まぁ、こんな唐突な質問をされることなどそうそう無いとは思いますが、
もしそう聞かれたら私は間違いなくジュリーだと答えるでしょう。

もちろん初めて買ったLPレコードも、
初めて行った日本のアーティストのコンサートも全てジュリーでした。
そのジュリーに会う為に、私としては実に10数年ぶりに
彼のコンサートに行ってきました。
ライブ翌日のニュースでも沢山報道されていたので、目にした方も
居るとは思いますが、コンサートというのは東京ドームで行われた
7時間で80曲を歌いきったジュリーの還暦を記念した(!)
メモリアルコンサートの事です。

Pap_0224

子供の頃から長いことFCに入っていた事もあり、ジュリーのFCからお知らせが
未だに届くので、このコンサートのことは随分前に知っていましたが、
最初にこのコンサートのことを知った時は、ジュリーには失礼ですが
今のジュリーにドームを埋めるだけの集客力があるとはとても思えず、
正直余りにも無謀だと思いました。
そして、もっと失礼かつ勝手な事を言わせてもらうと、
昔の美しい彼の記憶を鮮明に持つ者として、何よりも60歳を迎え
それなりに年を重ねたジュリーに会う覚悟がありませんでした。
勿論、自分だってその分確実に年取ってはいるんですけれど・・
ホント勝手ですよね人間って。

ではここで、私が最もきれいだと思うジュリーを・・・

少し古い話をさせていただきますが、
ジュリーとの出会いは遡ることウン十年の幼稚園の頃でした。
幼稚園から小学生の一時期にかけて、実はジュリーはご近所さんだったのです。

その当時よく母に手を引かれ、彼が住んでいたマンションの地下のスーパーで
買い物をしている時に何回か彼の姿を見たことがありました。
ピンポンパンに夢中になって観ているような年齢の私には、
それが当時の超人気アイドルのジュリーなんて事は知る由もなかったのですが、
子供心にもえらく綺麗な人だと言うことだけは理解していたようで、
母に連れられそこを通る度に、彼がよく出入りしていたスーパーの横の
駐車場の入り口辺りを観る癖がついてしまった事をよく覚えています。

それから数年後、ジュリーは最初の奥さんと結婚したのを機に
そこを引っ越し居なくなり、そんな事を忘れかけていた更に数年後のある日、
たまたま歌番組を観ていた時にブラウン管の向こうで血の付いた包帯を
手に巻き付け、憂いのある表情で「LOVE ~抱きしめたい」を歌う
彼を観た途端ものの見事にジュリー堕ちをし、
気付くとどっぷりとファンになっていました。

その当時は周りが同世代のアイドルに夢中になる中、
世代がほぼ2周り近くも違うジュリーを洋楽のアーティストと並行して
20代半ばまで追い続けました。


多分一目惚れしたその頃かと・・

686c7f72f4d8af18de0fa2f1a46c611f

まだまだ語っておりますので、お好きな方だけどうぞ。

今の自分を形成するにあたり、最も影響を受けたのはこの人だったのだと
今改めて強く思います。

彼が居たからファッションという文化に興味を持ち、
当時話題になったPARCOの広告を手がけたアートディレクターの
石岡瑛子さんの存在も、ジュリーをメインビジュアルに据えた
一連のPARCOのアートワーク通して知り、
その時のカメラを担当した鋤田正義さんを通し、
デビッド・ボウイやT-REXのジャケット写真のスタイリングをしたのが
日本人の高橋靖子さんだと言うことを知り、
当時はまだ職業として意識していなかったスタイリストという仕事に興味を持ち、
結果的にそれを生業としました。

また、ジュリーの衣装を「危険な二人」以来現在も手がけている
早川タケジさんに憧れ、中学の時に手にした美術批評に載っていた彼の連絡先に、
アシスタントにして欲しいと電話を掛けようと試みては、
慌てて切ったこともありました(笑)


更に時代を遡り、過去に彼と仕事をした久世光彦さんや蜷川幸雄さん、
唐十郎さんの存在を知り、映像や演劇の世界に興味を持ち、
その後ジュリーのコンサートの美術を手がけたのが
寺山修司さんの劇団の美術を手がけた小竹信節だと知り、
一時は舞台美術をやりたいと本気で思ったこともありました。(単純!)

10代の私にとって彼の存在は未知の世界への触媒であり、
村上龍さんが書かれた「14歳のハローワーク」以上の意味を持つ
人生の指針となりうる存在でした。

大げさでなく当時の彼が表現するもの全てがすぐに話題となり、
東京で生まれ育った私の目にもそれは常にスタイリッシュなものとして映り、
芸能界というメジャーな世界にありながらも常にどこか異端な世界観を持っていて、
それをジュリーというメジャーな自分の存在に投影しながら、
一般人が知らない世界を一般世間に知らしめる特別な存在でした。

モードもロックも映像も演劇も文学もそしてアートも、
彼が居なければ私の中で好奇心を擽る対象にはなり得なかったでしょうし、
それを通じて知り合った多くの友人とも出会う事が無かったかも知れないと思うと、
やはり自分はこの事を感謝をするために彼に会わなくては・・!という気持ちに
自然になっていました。

音楽関係の仕事をしている弟から「チケット取れるけどいる?」と聞かれたのですが、
その時はF4のツアーの真っ最中だったので、どうしよう・・とぐずぐず悩んでいるうちに
機会を逃してしまい、チケットを入手出来たのは実はライブ当日の朝でした。

手に入れたチケットを手にドーム敷地内に入ると、ライブ当日特有の高揚感に
包まれいて、ドームの正面に掲げられたコンサート看板の前では
記念撮影する姿が多く観られました。

中学の制服を着て渋谷公会堂の前に並びながら従姉妹を待っていた、
まだ12歳の子供だった部活帰りの私に、「これ明日の昼のチケットだけどあげる」
(昔は3時と6時半の2回公演だったので)と言ってチケットをくれた
あの20代後半くらいのお姉さんも、きっとこの大勢の人混みのどこかに
いるんだろうなぁ・・なんて思いながら、しばらく振りに味わうジュリーのライブ前の
喧噪の中に身を置き、そこにいる人たちの顔を眺めていました。

よく見るとジュリーのファンと言うには若すぎる10代~20代の子の姿もちらほら見え、
数十年前の自分と重ね合わせ嬉しい気持ちになりながら入場し席に着くと、
私の斜め前には6,7人の男性ばかりの中年男性グループの姿が・・
このグループが後々、私をとても幸せな気持ちにしてくれることになるとは、
その時は思いもしませんでした。

ギリギリに席に着いたのでまもなく客電が落ち、ステージには真っ赤な衣装に
包まれたジュリーが驚くほど静かに登場しました。
定時通りの午後3時スタートに合わせ登場したジュリーは、
初のドームライブだからと力む事もなく、ただ静かに7時間で80曲を歌いきる
トライアスロンのようなライブをスタートさせました。

一声発しただけで一瞬にして聴衆を自分の世界に引き込む、
余韻のある歌声は今も健在で、私がライブ通いをしていた頃よりも
その声は年々艶と深みを増し、この人はやはり唯一無二の歌い手なんだという
確信を確かなものだと思わせる歌声でした。

会場に用意された席は、私の心配など吹き飛ばすかのように満員状態で、
当日のドームには水曜日にもかかわらず、3万5千人の観客が駆けつけた事を
翌日の報道で知りました。
おそらく今日足を運んだ3万5千人の観客の中には、
私のように久しぶりに・・もしくは昔はジュリーのこと好きだったけれど、
コンサートにまで足を運んだ事は無かったという方も多く居たと思います。
その観衆を前にジュリーは誰もが知っている大ヒット曲で始めるのでは無く、
93年に発売されたシングル「そのキスが欲しい」でスタートさせました。

実は最後の1曲も数ある大ヒット曲からではなく、96年に出したシングル曲でした。
その2曲を聴いた時、これは音楽業界の最前線から遠退いてからも
常に現役であり続けた自分をずっと支え続けてくれた多くのファンに向けての
最大の感謝の気持ちなのだなと思いました。

しかも驚いた事に、このドームライブのことを知った時、
誰でも想像したであろうお祝いのゲストの姿は一人も見えず、
最後の最後までジュリーたった一人で7時間をやり切ったのです。
彼のキャリアならばそうそうたるメンバーがステージ上に集い、
翌日のワイドショーのトップを飾ることも出来たでしょうに彼はそうしませんでした。
デビューして40年、ただ一途に自分を支え続けてくれたファンの為、
彼の歌と共に人生を送ってきた多くの私のような人間の為、
そして今の彼の姿に触発されている新しいファンの為だけに、
こうして今日ステージに立って居るんだという彼の強い意志を感じました。
女性的とも言われた端麗な容姿に反し、彼の持つ内面の男気の強さと
不器用なまでの潔さが数十年経った今も何も変わらずにいてくれた事を
嬉しくも感じ、同時にこれ程までの才能の持ち主が苦難の道を歩いている要因でも
ある事を感じました。

あれだけのヒット曲を持っていながら、メディアには決して迎合せず
懐メロ番組には一切出演しない事。

彼ならばいくらでも声が掛かるであろうディナーショーも、
元々バンドという形態でこの世に出た歌い手としてそれを良しとせず、
ディナーショーという形では一切引き受けていない事。

彼の後に続くミュージシャンの中には彼の影響を受け、
ミュージシャンとしてリスペクトする声が多くあるにもかかわらず、
現役としての誇りと伝説の存在として変に壇上に奉られる事を嫌い、
そういう一過性の企画には一切応じなかった事。

業界の人からみれば、余りにも頑固で不器用すぎると思われた事と思います。
でも、昔のヒット曲を引っ提げ懐メロ歌手としてメディアに出るジュリーを観たいかと
問われれば観たくない。
もし観たいならばライブに足を運べば良いだけの事だし、
今の時代ならばこうしてYoutubeを覗けばいくらでも観る事が出来ます。
ディナーショー?ジュリーの歌は贅沢な食事の後に観るものではないし観たくもない。
最後のリスペクト企画に関しては正直少しは興味もあったし、
後続のミュージシャンへの影響の大きさから言っても形になれば
面白いモノになるだろうという確信はあるのですが、
ジュリーの楽曲は彼が歌って初めて意味を成すものという気もするので、
これも本人が快諾するまでは実現しなくても良い事なのかもしれません。

そう考えると不器用すぎるとも思えたジュリーの現在の姿は、
彼にとって正しい選択の結果なのだと気付きました。

ステージは佐野元春がジュリーに書き下ろした中でも最も好きな
「すべてはこの夜に」など、所々個人的に思い入れのある曲を挟みながら、
タイガース時代からPYGの主要ナンバーが続き、
ソロになってからの初期のヒット曲をほぼ時系列で歌われてゆくに連れ、
静かな幕開けだったステージも客席も徐々に暖まった頃、1975年12月に発売された
「いつくかの場面」というアルバムの中の1曲が披露されました。

この曲はまだ無名だった頃の河島英五がジュリーに楽曲提供をしたナンバーで、
結婚という人生の節目と2回の暴行事件という不幸な出来事から謹慎を強いられた
辛い時期に出会った曲でした。
良い曲である事以上に、内容が自分の過去の出来事と見事にオーバーラップする
歌詞だった為か、この曲を歌うジュリーの声はいつも少し震えて聞こえました。
この日のジュリーもやはり
「そしていつも離れない、幾人かの人たちがいた・・」という件辺りから
声が震えだし、歌い終わった時には「最近涙腺が弱くなっちゃってね・・」と泣きながら
照れくさそうに口にしました。
元々は人前であまり涙を見せない人ですが、この「いつくかの場面」や
今回は歌われませんでしたが、丁度離婚騒動のまっただ中にリリースした
BOROが書き下ろした「やさしく愛して」など、その節目節目で出会った名曲を歌う
ジュリーの声からは、彼が乗り越えてきた時間の重さを感じ取る事が出来ます。

久しぶりに聞いた「いくつかの場面」は、それなりに年を重ねた自分自身の時間とも
重ねる事が出来て、今まで以上に心に残るものとなった気がします。

43曲を歌いきった所で前半の第1部は終了し、30分の休憩を挟み
いよいよ第2部が始まりました。
初期のアルバム曲から始まり、タイガースのナンバーと続いてゆき、
ある曲のイントロが流れた途端一瞬にして会場の空気が爆発したように一変しました。
その曲は「サムライ」でした。

昭和のある時期、大人も子供もピンクレディに夢中になっていたあの頃、
男性歌手で最もヒットを連発していたのはジュリーでした。
その頃子供だった私の世代も、その上の世代の人たちも誰もが口ずさんだこの歌の
イントロに誰もが自然に反応し、今まで座っていた観客も総立ちになりました。
特にさっきの男性グループはウォ〜ッと歓声を上げ、おもちゃのピストルを取り出し
高く掲げだしたのです。
その顔はこの上なく幸せそうで、その姿を観ているこっちさえも幸せな気持ちに
させる位、彼らがこの日が来るのをどれだけ楽しみにしていたのかが
ダイレクトに伝わってくる最高の笑顔でした。
ライブ当日は水曜日、しかも午後3時スタートという異例のライブスケジュールです。
彼らの年齢はおそらく40代後半から50代半ばといったところ、
言ってみれば働き盛りのおじさんたちです。
普通なら当然会社で仕事をしているこの時間に、皆それぞれがどうにか苦労をして
ようやく都合を付けて駆けつけた事は容易に想像できました。
ここからは勝手な想像ですが、きっと社会人になってからの長い年月の中で
何度も仕事で取引先に理不尽なことを言われ悔しい思いをしたり、
上司と意見がぶつかりやけになったりした時に、
カラオケでジュリーの曲を思いっ切り歌って憂さを晴らしたりしてきたんだろうなぁと、
彼らの無邪気にはしゃぐ姿を観てそう思いました。
特に「サムライ」を歌っていた頃のジュリーの歌の世界には、
誰でも映画の主人公になれる非日常が沢山詰まっていました。
せめてカラオケで声を張り上げジュリーの歌を歌っている間だけは、
誰でもボギーになったり、泣いている女を背にして去ってゆくような
とてつもなくいい男になれたのです。

気付くと彼らのように小道具は用意していないまでも、
立ち上がって同じ振りを楽しげにしている沢山の男性客がいました。
長い時間を1アーティストと過ごし続けているファンの多い、永ちゃんやサザンなどの
ライブではよく見られるこの光景ですが、私がライブに通っていた頃には
決して見られなかった光景でした。

この男性グループはこの後も「勝手にしやがれ」では白いソフト帽を取り出し
飛ばす様な仕草をしたり、「カサブランカダンディ」では小瓶を小道具に
振りマネをして盛り上がっていました(笑)。
一見お祭りのような彼らの姿ですが、何度も窮地をジュリーに助けてもらった
(断言かい!)彼らにとっては今日は祭りに違いないのです。

間に最新アルバムの曲を挟んで、いよいよライブも佳境を迎えます。

「あなたに今夜はワインをふりかけ」では3万5千人の観客も声を張り上げ
大合唱になり、名曲「時の過ぎゆくままに」、「ヤマトより愛をこめて」と続く
阿久悠作品をじっくりと聴かせ、
今聴いても格好いいロックチューンだなといつも思う「気になるお前」で
再び盛り上がり、続いてタイガースの後期の名曲で私も最も好きな曲でもある
「朝に別れのほほえみを」の後、残す3曲には先述のように比較的新しい曲を
持ってきて、計7時間、全80曲のライブを終えました。

最後のMCで自分の事を「決して夢見る人間ではない」と前置きした上で、
こうして東京ドームのステージに立ち多くの聴衆を前に歌を歌えた事を「夢」だと言い、
その夢を見させてくれた我々に何度も涙声で「ありがとう」と繰り返しました。
長い時間ファンが自分に「夢」を見させてくれて今に至っているのだという言葉を
聴いた誰もが思った事だと思いますが、ファンの方こそ沢田研二という
希有なスター性を持った存在に、未だ醒めない長く幸せな夢を見させて
もらっているのです。

伊集院静さんがジュリーの25周年記念の小冊子に寄稿した文に同じような事が
書かれてあった事を思い出し、ライブから帰って夜中に本棚をひっくり返して
掲載されていた小冊子を見つけ出し読み返しました。

タイトルは「大樹のごとき君なれば」

「沢田研二は一本の樹である。」
・・で始まるこの文は、女たちがその樹を愛し夢見た歳月を経て
彼は再び戻ってくると語り、そして終盤に向かいこう続きます。

「ずっと沢田研二を仰ぎ、求め、祈り、夢見て、
 そして愛してきた女たちはしあわせである。
 なぜなら、その樹にしか
 天上を触れるような見事な時間は宿らないからだ。」

全文を紹介できないのが残念ですが、裕也さんにせよ久世さんにせよ、
女性が語る言葉よりも、男の人がジュリーを語る言葉の方が圧倒的に色っぽくて
何故か記憶に残る気がします。
大人の男が惚れる男。
60になったジュリーを見てそう思いました。

何だか少し話が本筋から逸れてしまいましたが、結果的にライブに行った事で
行くかどうか悩んでいた期間ずっとモヤモヤしていた気持ちが一気に晴れ、
一つだけ無くしてしまっていたパズルの1ピースがちゃんとはまるべき所に
はまった様な気がしました。

久しぶりにジュリーの新しいアルバムを買ってみなきゃ!と気付いたところで、
長かった独り言もここら辺で終わらせて頂きます。

さぁ〜て、昔のアルバムにでも針を落とすとしますか。

|

« 師が走れば、私も走る12月 | トップページ | 忘年会その二  ガーデンバーベキューと祭りのあとの巻 »

コメント

lou-tanさんはおもしろいですね~。
どうして、自分達の世代に分かり合えないものを~~??
でも、早熟さんというにはあまりにもちゃんと選んでいるところがすごいです~。

ジュリーは、私の同級生の男の子の憧れでした。
私自身はファンではなかったのですけどね。

今こうして見ても、ジュリーは女っぽい容姿をしていますよね。
やさしい端正な顔立ち。
先端をいくファッションなど。
硬派な男どもには、受け入れられるはずがない人のはずなんだよね。
それなのに、ジュリーは男の子たちの憧れ、理想でした。
きっと、見た目ではなく、その本質をキャッチしていた部分もあったんだと思います。

もしかして、lou-tanさんのそばにいた男どもは
私の友人だったりして~~
なんて思ったのでした~~。

あ、ジュリーと仔仔の共通点もあるね~~
さて何でしょうか~~爆

投稿: midori | 2008/12/11 23:25

Midoriさん、どうも〜♪

確かに昔から周りが良いよねって言うモノに一切興味が無かったかもなぁ。
でもそこはジュリーの魅力と、私の力業で周りを巻き込んで、
「ストリッパー」辺りになるとみんなライブに行きたがったりして、結構喜びを共有したりしてたわよん♪

あの男どもが、もしかしたらmidoriさんの友達かもって思っただけで・・・
ププッhappy01ますます愛おしくなってきちゃうよ。

ジュリーと仔仔との共通点って、もしかしてなで肩と猫背??
始めは見た目と中身のギャップ?かもって思ったけど、
動画で姿勢の悪い細いからだを見ているうちにそう思ったんだけど、違う??

投稿: lou_tan | 2008/12/12 10:40

うふふ~
そこもあったのか?
いやいや、私が気が付いた共通点は・・・
足の長さが・・・以下自粛
ヾ(@^∇^@)ノ ワハハハ

ところで、昨日はいや~~~な夢を見てしまいました。
私はユダヤの小さな女の子であり、その母でもあるんだけど、(夢だからどっちもありなの)
ナチスに追いかけられる夢。
怖かったよう~~。
なんでこんな夢を見たのか考えた。
ジュリーの衣装だったよ・・・
やっぱりこの衣装は怖い・・・かも・・・

投稿: midori | 2008/12/13 00:14

正解は足の長さでしたか・・
実はそれも気付いてた(笑)
良いのよ、それでも!
仔仔もジュリーも可愛くてキレイなんだかから。(そればっか)

ジュリーのせいで怖い夢見ちゃうなんて、災難だったね。
この衣装ってこのオンエアの後、モレシャンさんから不道徳だって
抗議があって、ハーケンクロイツからただのバツマークにデザイン変更したんだよね、確か。
当然と言えば、当然だ。

でも、久世さんはエッセイの中で「沢田には出来れば伏し目がちに
『僕はキレイであればどうでも良いんです』って言って欲しかった」なんて
これまた物議を醸しそうな文を書いてたな。
ジュリーの周りは物騒なおじさんばかりだ。

投稿: lou_tan | 2008/12/13 01:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 師が走れば、私も走る12月 | トップページ | 忘年会その二  ガーデンバーベキューと祭りのあとの巻 »