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2009年2月

2009/02/20

NODA MAP 「パイパー」 渋谷Bunkamuraシアターコクーン

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野田秀樹の最新戯曲「パイパー」を観てきた。
本当は来週の25日の夜に観る予定だったのが、不注意で他のライブとバッティング
してしまったので、急遽チケット交換サイトで18日のチケットと交換してもらったのだ。
ネット社会の恩恵に与ってるなぁってつくづく感じるのはこう言う時だと思う。

今夜はこまつ座に続き、珍しく一人での観劇。
何となく自分の中で野田作品は一人で観るに限るといった決まり事がいつの間にか
出来上がっていた。
別に人と感動を分かち合いたくない訳では無く、野田さんの舞台は見終わった後
必ずと言っていいほど、その戯曲が訴えるメッセージがどういう意味を持つのかを、
つい突き詰めて考えたくなる衝動に駆られるからなんだと思う。

これから述べる感想が果たしてネタバレになるのかどうかは判りません。
しかし、一切の情報を入れたくないという方はご遠慮された方が賢明かと・・・




「パイパー」について知っていたのはただ一つ、火星が舞台の話という一点のみ。
正直言って生まれてこの方SFというものに一度も興味を持った事がない私にとって、
火星人のお話をわざわざ観に行くなんてあり得ない事の一つだった。
しかし、ここは野田戯曲である。
火星人=SFなんていうシンプルな方程式が成り立つ訳もなく、「オイル」や
「ロープ」同様、未来という設定だけを借りたリアルな今がそこにはあると確信するから
劇場に足を運ぶのである。

舞台は1000年後の火星。
そこに住むダイモス(松たか子)とフォボス(宮沢りえ)という姉妹が物語の
牽引役である。
ストーリーは正直この場で簡潔に説明が出来るほど単純な内容では無く、かといって
難解かと言われるとそう言う訳でもなく、物語の時間軸が色々と飛ぶ事にさえ付いて
行ければ十分に楽しめる内容だと思う。
野田さんの舞台を観る時まず考えるのは、目の前の舞台で起きている事は本当は
どこで起きている事なのかという事。
「ロープ」では目の前のプロレスのリングが実はベトナム戦争の戦地であり、
そこで熱狂している役者は現代(いま)を生きる私たちの愚かしい姿だったりする。
今回も観ていて気になるのはやはりその設定だった。
今回のキーワードの一つに「数字」がある。
「数字」が持つ怖さや不確実性、数字に依存し冒されてゆく人間の愚かさ。
舞台上で「数字」は、幸せの度数を測る数値として舞台の上の登場人物を
翻弄させる。
物語の進行と共に、舞台上の設定がほんの一部のエリート達に情報操作
された北朝鮮の市民の現状にも思え、そこに行けば必ずや地上の楽園が
存在すると信じ、ひたすらに国家元首を崇拝してきた彼らの悲劇にも映り、
さらに進むともっと大きな規模の「地球」単位の問題に感じられるようになってくる。
自然破壊や数字至上主義ともいうべき実体のない社会の脆さを言っているのか、
今まで観た野田作品ほどテーマが凝縮していないような印象なので、
メッセージに対するこれだという確信は持てないけれど、
気の遠くなるほど先の1000年後の火星と2009年を生きる我々の現代が
危うい糸で繋がっているという事だけは判った。

自分の身に起こっている問題を先送りにしようとする無責任さを「今」
終わらせないとどんな事が起こるのか・・皆誰もがうすうす感じているのに
何もしようとしない鈍さを恥じるべきだろう。
この状況を誰かが助けてくれるなどと思っている事のツケは確実に返ってくる。
そう思いながらふと、この問題に最も危機感を感じているのは今の若い世代で、
鈍い人種の多くは私を含む昭和生まれの世代の事なのではないかと気付く。
今の若い世代は他者に期待できない環境で育ってきた分、不確実なモノに対し
非常に醒めた目を持っていると感じることがある。
「個」が必要以上に確立していて他者との繋がりを拒否していたり、
自分の未来に対し「夢」を持てない環境かと思うとそうでもなく、
しっかりと次の時代を見据え自然や人間社会に還元できる事は何かを
しっかりと考えているのが次世代のスタンダードだったりするのが面白い。

・・・と、話は変にずれてしまったので少し戻そう。

ところで、話の中に出てくるパイパーは一体何だったんだろう。
パイパー、この「笛吹き」という意味を持つ存在は見終わった後も
何物だったのか判らなかった。
もしかして、笛を吹きながら民衆を扇動し、やがて破滅へと導いた
得体の知れない存在の事をさしているのだろうか・・
そんな事を思ったりもしたが、舞台を観る限り民衆を扇動しているのは
「数字」である。
始めは友好的で幸せの象徴だったパイパーが、やがて荒廃し人の命を
脅かす存在になってゆく。これはどういう意味を持つのか・・?
やっぱり、この場で言葉で簡単に説明できるほど私はその正体の尻尾を掴んでは
いないのかも知れないので、どなたかご覧になってその尻尾を掴んだ方がいたら
是非教えて頂きたい。

出演している役者さんは、松たか子さん、宮沢りえさん、橋爪功さんとどなたも
野田戯曲を心底愛している方ばかりで、最高の代弁者ばかりだった。
松さんはいつもながら口跡の良い台詞で言葉の洪水を上手にまとめ観客に正確に
伝えていたし、りえちゃんは変幻自在の声色を駆使し、時間軸を自由に飛び回って
いた。
現在の演劇界における若手女優の双璧が力を競っている、
そんな贅沢極まりない舞台だった。
橋爪さんは昔一度だけ映画でご一緒した事があったが、その時に感じた
柔軟な印象のまま、意気の良い若手の役者の間を飄々とすり抜け、
重くなりがちなテーマに軽妙な風を送ってくれていた気がする。
大好きな役者さんの一人である。

舞台自体も映像を駆使し、複雑な時間構造を明解に説明する役割をしていたのも
良かった。
いつも楽しみなひびのこづえさんの衣装は、アンサンブルの役者達が着ていた
赤茶と鮮やかなブルーの衣装がキレイで印象的だった。

最後に一つ、私が観に行く数日前にりえちゃんの妊娠&結婚が報道された。
この物語をりえちゃんのお腹の揺りかごで聞きながら、お母さんと一緒に疑似体験
している赤ちゃんの目には何が映っているんだろう。
現在の我々に対し決して遠くじゃない未来への警告と、生ぬるい我々への
警鐘を鳴らすこの戯曲の意味を、子を宿した母としてのりえちゃんが
どんな風に感じているのか今の彼女だから感じているだろう言葉を
聞きたくなった。

次は来月7日の井上ひさし書き下ろし、蜷川幸雄演出、藤原竜也&小栗旬の
「ムサシ」が待ちかまえている。
「天保十二年のシェイクスピア」以来のプラチナチケットのこの舞台。
才能と才能のせめぎ合いを、心して観に行かねばと思っている。

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2009/02/18

春の顔

去年の中頃、お世話になっている花屋のおじさんにお願いして取り寄せてもらった、枝垂れ梅が見事に開花しました。

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子供の頃から庭に当たり前のように梅の木があったのですが、家を建て直す際にどうしても切らなくてはならなくなり、泣く泣く切ってから8年。
散歩中に見かけた庭先の枝垂れ梅に憧れ、去年植栽をしたのがこの梅の木でした。
同時に植えたのがソメイヨシノの桜の木。
桜は虫が来るからイヤなのと言っていた母でしたが、ケアマネージャーの方が秘策を教えて下さったので、それではと決心し枝垂れ梅と一緒に植えたのです。

これも正直言うと、これからいよいよ身体が動かなくなる母の事を考え、家のリビングからお花見が出来たら良いなぁと思い、父と一緒に植えた木でした。
梅の蕾が綻び始めた頃、「間に合わなかったねぇ・・・」と普段無口な父がぽつりと言った一言は、どんな言葉よりもズシンと来ました。

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間に合いはしませんでしたが、それでも毎年キレイに花を付ける度にどこかで母が見ている気がするでしょうし、それだけで世話のし甲斐があるってもんです。

あとひと月半も経てば、今度は桜の花が開花して目を楽しませてくれる事でしょう。

いずれはお花見が楽しめるくらいのシンボルツリーになってくれたらと今から楽しみです。

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2009/02/16

これで一区切り

葬儀の時に葬儀屋さんから「3ヶ月まではあっという間に過ぎるからね」と言われていたのですが、その言葉以上に本当に驚くほど早いあっという間の49日でした。

親の四十九日の準備なんて人生にそうそうあるモノではなく、慣れている人なんて余り居ないでしょうけれど、葬儀の時のように手取り足取り葬儀屋さんがお膳立てしてくれるものでは無くなるので、とにかく早め早めに準備をしなきゃと心掛け、最終的に何とか形になったと思える法要になりました。
葬儀の時のは表立った事は全て弟任せでしたが、その弟が仕事であるミュージシャンのツアースタッフとして全国ツアーに出てしまった関係から、殆ど東京に戻らない日が続いたので、やたらとやる事が山積してしまい、見落としはないか何度もチェックしながら、菩提寺とのやり取りや、法要に参加してくれる親戚への招待状の作成などなど・・・に追われる毎日でした。

中でもメインは法要の後の会食の場所と、参列者の方々にお返しする品の用意でした。
特に会食はなるべく母と縁のある会食になるようにと考え出てきたのは中華料理。
しかし、家族でよく行った新宿の中華は数年前に閉店し、介護中に時々足を運んだホテルの中華は40名以上の集客出来るパーティ会場が無いという事で断念・・そこで結局新宿の高層ビル54階にある「聘珍樓」にしようという事になりました。
元々は横浜の中華街の聘珍樓と萬珍楼点心舗が母の行き付けで、実は新宿の聘珍樓は利用した事はなかったのですが、まさか横浜まで親戚40人を連れて行く訳にも行かず、おなじ聘珍樓と言う事で納得し、54階で景色も楽しめるし良いよねと満場一致で決まりました。

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これは結婚式用で、夜ですが・・・・・

しかし、改めて法要の場所を考えるとなかなかコレだと思うところが無く、昔はよく菩提寺の本堂横の大広間をお借りして、母のお気に入りのお店から膳を運んでもらっていた理由が自分で用意をして初めてよ~く判りました。
でも、結果的に親戚も喜んでくれたようで、ロケーションと老舗の味に感謝です。

次はお返しの品。
葬儀の後は香典返しの事は頭にあったのですが、四十九日の法要自体に自分自身が参加する機会が余りなかった事もあり、四十九日にこういうしきたりがあった事自体知りませんでした。そこで、ありきたりのモノじゃつまらないと思い、出来るだけ手作りで何かできないかとこんなモノを作ってみました。

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右端のフォトフレームは実は100円ショップで調達したものなのですが、なかなかどうしてキレイなデザインで20個大量に購入し、ガラス製な事とさすがに写真を送るのも些か押しつけがましいかな・・と思い、飾らなくても飾ってもどちらでも良いように収納用のケースを手作りで作ってみました。
近所の生地屋でグレーのフェルト地とグログランリボンを購入し、フレームの大きさに合わせミシンで縫い合わせ、従姉妹から刺繍が出来るミシンを借り、表面に母の名前と命日を刺繍してみました。
簡単な割に見栄えも良くなかなか満足の仕上がりでした。

最も反響が多かったのは左端のリーフレット。
内容は葬儀の際母の遺品の横にイーゼルに立てかけた「母の愛したモノ」というタイトルの私が書いた短い文章と思い出の写真が数枚。
母と通い詰めた歌舞伎座での2年前の写真と、去年の10月に行った母との最期の旅行になった長野の叔父の山荘での一枚、それに通夜の夜に母の祭壇の上で撮影した親戚一同の集合写真をはめ込んでデータを作成し、リスマチック(出力屋)で50部プリントしてもらいました。
集合写真は小学生の従兄弟の息子が皆を笑わせようと「1+1は?」「10-8は?」と言ってシャッターを切り、皆にどうにかして「二(2)~ッ」って言わせて笑顔を引き出そうとした成果もあり皆一様に満面の笑顔の良い写真でした。

お菓子は最近我が家のブームでもあるガトーフェスタハラダのラスクを通販で取り寄せ、これまたお気に入りの地元中野にあるセンスの良いお茶屋さんOHASHIのお茶と陶器製の茶さじを自分で一手間加えたペーパーバッグに入れ参列してくれた親戚にお返ししました。

きっとこの四十九日を最後に、これだけ手を掛けて母の法要の準備をする事も無くなるかと思うとつい力が入ってしまいましたが、手渡された親戚にも気持ちが伝わり良かったよと言葉を掛けてもらった事で、本当の一区切りが自分の中で出来た気がします。

人の死、とりわけ親の死は人間を成長させてくれます。
それを身をもって感じた一ヶ月半でした。

まだ時々母の事をこのブログで書いてしまう事もあるかとは思いますが、親離れ出来ない甘ったれの独り言だとだと許して下さい。

今週、来週と舞台、ライブが続き、私の道楽もいよいよ本格的に再開です。
気持ちを切り替えて思い切り楽しんできます。

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2009/02/15

四十九日を終えて

先日の11日薄曇りの祝日の中、再び母を見送りました。
その日は母の四十九日で、葬儀の時と同じ菩提寺にある先祖代々のお墓に約一ヶ月半共に家で過ごした、母の遺骨を納骨したのです。

正月の最中の6日に葬儀を終えてからの約一ヶ月半の間毎日お線香をあげ、朝晩欠かさず食事を供えた母の遺骨と別れなくてはいけないんだという実感が湧いてきたのは、9日に78歳の誕生日を迎えるはずだった母のバースディケーキの蠟燭の灯を吹き消した時でした。

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6日の火葬の際の別れの時にそんな感情はもう使い果たしたと思っていたのに、込み上げてくる何とも言えない感情をどうする事も出来ず、一緒に吹き消した妹と二人、口を開くと嗚咽が漏れそうになるのを避けるために、妹はキッチン、私は母の遺骨のある仏間へと移動し、気持ちが落ち着くまで一人で何もせず畳の上にゴロンと身体を投げ出すようにして時を過ごす事で、思いがけずに襲ってきた哀しみと必死に向き合いました。

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畳の上で和室の天井を見ながら思い出したのは、20代の頃映画の仕事でご一緒した某俳優さんのお話でした。
その方の場合、長年飼われていた愛犬との別れのお話しだったのですが、ご一緒した撮影の1年前に亡くされた愛犬の遺骨を深大寺の動物霊園に用意してあるお墓に納める決心がどうしても付かず、毎月の祥月命日の度に奥様に納骨を促されてその前日に決心したにも関わらず当日の朝になると、180センチ以上もある大きな体躯を小さく丸め愛犬の遺骨の前に座り込んでは、納骨を取りやめるというのを繰り返されているので少し困っているのよ・・と話す奥様の泣き笑いの顔をふと思い出したのです。
丁度、先日NHKでその俳優さんの特集を1ヶ月に渡り放送していたのを見ていたり、その方の息子さんの出ている映画の試写会に行き、益々お父さまに似てきた息子さんの姿が妙に残っていたので、余計に母の納骨の件と繋がってしまったのかも知れません。
姿が無くなった今、目の前の遺骨だけが心の拠り所になっていたのは、その俳優さんも私も間違いなくそうで、それが母であろうと愛犬であろうと愛する存在を亡くした哀しみに何ら変わりはなく、俳優さんの話を聞いたその時には実感として判らなかった哀しみの正体を、十何年経って初めて知ったような気持ちになりました。

そんな事を思いながらぼ~っとしている私の頬に冷たい物体が触れ、ふと我に返るとそれは愛猫るぅの鼻先でした。
動物は人の気持ちにすぅっと寄り添う事が出来るのだとよく言いますが、この時のるぅの行動はまさにそうだったと思います。
そしていつかは訪れるだろう、るぅとの別れを俳優さんのエピソードと重ね堪らなくなり、思わず横に寝ころんているるぅを無理矢理抱きしめてしまいました。

その俳優さんはその数ヶ月後、知り合いのカメラマンさんが見かねて連れてきた同じ犬種のパートナーとの出会いを機に、ようやく決心をし納骨したと後で聞きました。

最初は遺骨を入れるアッシュペンダントに入れる為にホンの少しだけ分骨するつもりが、結局小振りの蓋付き容器に入れるくらいの分量のお骨を骨壺から取り出し、その代わりに家族で最後に行った伊豆の温泉旅行の時の写真をその上に納め、再び桐の箱に戻しました。
今は現代供養という名の下に、残された人たちのライフスタイルに沿った供養の仕方が幾通りもあり多様化していると言います。
確かに行きづらい遠くのお墓よりも、いつでも手を合わせお茶をお供えできる自宅に遺骨を置く事を選ばれる人が増えているというのも判る気がしました。

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最後のランチプレート

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最後の夕食は海鮮丼でした。

それに、納骨を前にこれが最後の誕生日、最後の夕食、最後のランチ、最後の朝食と、全てが特別な重いモノだったイベントが、分骨をした事で納骨後も何も変わらずお供えをすれば良いんだという当たり前の事に気付き、分骨前よりも格段に気持ちが楽になっている自分に気付きました。

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骨壺を元あった祭壇の上に戻し、最後の母への誕生日プレゼントになったレースのストールを骨壺に巻き付け、母が20代の頃作った帽子を被せて最後のお洒落を楽しんでもらいました。
少しよそ行きの顔をした骨壺の横にある遺影の母の顔が、ちょっぴり照れくさそうに見えました。

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