昭和一ケタ世代などの戦時中に幼少期を過ごした世代にとってその体験は、
あの「戦争」とは一体何だったのか、一生そう自分に問い掛け続ける事から
逃れられない観念を彼らの中に植え付けました。
先頃亡くなった私の母もそうでした。
その戦争を経て、空っぽになった日本に生まれ落ちた世代、所謂団塊の世代には
「学生運動」という若者達の戦争がありました。
あれは単なる熱病だったのだろうか?そう自分に問い掛け続け、その呪縛から
逃れられない人を沢山見てきました。
その学生運動も終盤に差し掛かった頃、この日本に生まれ落ちた世代である
私には「戦争」や「学生運動」に匹敵する、人の価値観を根底から覆す様な
強烈な実体験はありません。
オンタイムで体験したはずの受験戦争やバブルの崩壊も、それに匹敵するには
余りに希薄すぎて語るべきモノがありませんでした。
ならばそんな私が一生を掛けて背負うべきものは何なんだろう・・そう考えた時、
いつもそこにはそれを教えてくれる「何か」がありました。
その「何か」は芝居だったり、人の思いだったり、音楽だったり、本だったり・・・
その時々にその「何か」は違っても、それを体験した人の思いが込められた作品に
触発され、その思いを受け継がなくては・・・と私を奮い立たせる「何か」に今回も
出会う事が出来ました。
こまつ座+ホリプロ公演「組曲虐殺」
井上ひさし氏の書き下ろしの新作である本作は、近年再び脚光を浴びた「蟹工船」の
作者、小林多喜二の評伝劇です。
小林多喜二の名前を初めて知ったのは近代文学史の試験勉強の中で、
ただ暗記の対象として覚えた高校の時でした。
日本が世界経済の中で重要視され、プレバブルとも言うべき好景気の中では
小林多喜二の作品は今のように再評価の対象とされる事もなく、ただ暗記した
数式のように自分の中で消化され、いつの間にか記憶の彼方へ消えてゆきました。
そして、次に彼の名を目にしたのはそのずっと後・・・女優の原 泉さんの自伝の
中で久しぶりに彼の名前を目にし、初めてその非情な最期の写真を目にしました。
警察の過剰な暴行の末に体中が腫れ上がった彼の遺体を囲むように、彼の活動
の支援者、仲間達が悔しげにしている有名な写真です。
私も本作が小林多喜二が主人公だと聞いて、真っ先にこの写真を思い浮かべ、
きっと重い作品になるんだろうなぁ・・・とある程度は覚悟して行ったのですが、
3時間余りの上演時間の間、舞台上には彼が背負っていた重く暗い影の部分よりも、
1人の若者が賢明に自分の信じる道を生きている躍動的な部分に焦点を当てていて、
観終わった後には暗い時代背景が持っている重苦しさは不思議と残りませんでした。
作品の中の小林青年は、決して聖人君子などではなく自分の欲求にも率直で、
純粋に国を思い、不平等な経済のシステムに対し微力ながらも何かをしなければ
という衝動に突き上げられるように行動する1人の若者でした。
普通に恋をして、美味しいモノを食べたいと口にする姿は私たちと何ら変わりは
ありませんが、ただ一つ違っていたのは彼が背負っていた時代でした。
一つの権力が絶対的な力を持ち、上から圧力をかけてくる中で彼はペン1本で
戦いを挑み、自身の魅力で周りのモノを惹き付けそれを力に変えてゆきます。
それを井上芳雄さんが持ち前の魅力の一つ清潔感を武器に明るく軽やかに
素敵に演じていました。
それと今回の思わぬ拾いモノ(失礼
)は石原さとみさんでした。
映像で観ていてその演技力と可愛らしい容姿は知っていたものの、正直惹き付け
られるモノがそれ程感じられず、今回も大して期待していなかったのですが・・・
舞台の上の彼女は、暗く痛ましい生い立ちの中でも生き生きと真っ直ぐな目で
世の中を見つめ、健気に多喜二を思いながらも自分は並んで歩いて行く事が
出来ない現実を受け入れながら、いじらしい程彼女のやり方で彼を支え続ける
その姿が、石原さんの可愛らしさとピッタリと合っていて、正直歌はイマイチでしたが、
台詞の明解さ、役に対する真摯な思いがひしひしと伝わってきて、とても好印象を
持ちました。
今の若手の女優さんの中で、確実に昭和の遺伝子が受け継がれ、それを無理なく
演じる事が出来る貴重な女優さんだと気付かされました。
彼女はきっと良い女優さんになっていくんだろうなと思います。
この芝居と出会う事で、20代半ばの若い彼女の中にも、彼女と同世代の
戦時中の昭和を生きた若者の思いがしっかりと受け継がれ、忘れ得ぬ記憶として
意味あるモノに形を変えてゆくように、観ていた私にも上に書いたような使命に
似た意志のようなモノが確実に残りました。
登場人物の誰ひとりとして、本当の悪人は存在しないお芝居でした。
敵役の公安の刑事だった2人にも守るべき家族があり、胸に抱いていた夢がありました。
それを心のどこかで多喜二の存在に託し、結局は人として彼を最期まで糾弾する
事は出来ませんでした。
母のような強く気高い女たちと、ちょっと抜けてて人間味溢れる男たちに
支えられ、賢明に青年多喜二は29歳の生を駆け抜けて行きました。
どんな暗い時代であっても1人1人の人間にはどこか思い出せばクスリと笑える
瞬間が必ずあって、それがとても愛おしく感じられるのは書き手の井上さんが
心から人間を愛し、人の力を信じているからなのだとこの作品は教えてくれます。
そしてこの芝居の帰り道、車を運転しながら当たり前のようにこの気持ちを
母に話そうと思い、あぁ、そうかもう居ないんだ・・と思い知らされました。
聞いてくれる友は居ても、聞いて欲しい存在はもう居ない事に気付き愕然とし、
どうして生きている時に一緒に井上戯曲を見に劇場に足を運ばなかったのか、
そんな後悔が胸に押し寄せまぶたの奧が熱くなるほどの猛烈な喪失感が久々に
襲ってきました。
最近、1人観劇を復活させたこともあって、その度に感動をそのまま受け止めて
くれていた母の存在の有り難さを再確認させられることが多くなり、観劇の度に
こんな事を繰り返しています。
それでも、また井上さんが書かれた新作が上演されると聞けば駆けつけずには
いられないのは、井上戯曲の力の成すものなのでしょう。
次はオスカーワイルドの篠井版サロメ。
これは森山開次さんを生で観たいが為の観劇ですが、また1人なので森山さんの
魅力をすぐに話せるように芝居の後に呑みに行かなきゃ。
※既に「サロメ」も観劇済み。コレもまた今度upします。
最近のコメント